時間切れ!倫理

 176 実証主義・進化論 コント、ダーウィン、スペンサー

 これは、今話していた合理論や経験論とは別の話です。教科書に順番に沿って、ここで紹介しておきます。
 コント(1798生)はフランスの哲学者で、実証主義を提唱しています。当時、自然科学がどんどんと発展しています。自然科学は、ある仮説や法則が出た後に、皆が実験して同じような結果が出れば正しいことがわかります。
 このような実証的な方法で、社会の法則、例えば歴史や経済の法則を発見すべきだと言いました。その法則を発見するさいに、その前提条件として神の存在や、それに代わる別の事態を想定する哲学の方法を批判しました。
  知識の発展段階として、神学的段階→形而上学(哲学的)段階→実証的段階、と書いてありますが、言っている内容は簡単なことで、一番最初は世界を説明する時に神様によって説明をしていた。次の時代は、哲学によって説明するようになる。哲学といっても、形而上学といわれる証明のできない観念的な哲学です。たとえば、プラトンはイデアという証明できない存在を使ったし、デカルトもその論拠の中に神の存在を使っていました。そういうものを指しています。次の段階が、実証によって社会の法則を証明する。神様の段階、哲学の段階、実証の段階として進んでくるということです。

 ダーウィン(1809生)の進化論は、19世紀のヨーロッパ社会に大きな衝撃を与えた理論です。彼はイギリス海軍の探査船ビーグル号に乗って、世界中の海を旅して、様々な生物を観察した。特に有名なのはガラパゴス諸島で、島ごとに同じ種に属する鳥のくちばしの形が微妙に違ったり、亀の甲羅の形状が少しずつ違っていることに注目して、生物の種はそれぞれの環境に適応したものが多くの子孫を残すことにより、変化していったとする進化論を提唱しました。
 ヨーロッパ人は、カトリックであろうとプロテスタントであろうと、ほとんどの人がキリスト教を信じています。旧約聖書の天地創造では、神が最初に光を作り大地を作り、様々な動物の種(しゅ)を作ったと書いてあります。この天地創造を信じ、すべての動物は神が作ったと信じていたヨーロッパ人にとって、神とは関係なく様々な種が環境によって変化し、現在の形になったというダーウィンの説は、反キリスト教的なものであり、受け入れられるものではありませんでした。
 ダーウィンの進化論は激しい攻撃にさらされましたが、やがて猿人や原人といった化石人類が発見され、徐々に受け入れられていきました。我々日本人は、神が世界を作ったという信仰からは遠いので、進化論を聞いても「ふーん、そうか」と思うだけですが、キリスト教徒のヨーロッパ人にとって、進化論を受け入れるのには大きな抵抗があったのです。今でもアメリカ合衆国のキリスト教原理主義者は、進化論を受け入れないことで有名です。

   スペンサー(1820生)は、ダーウィンの進化論を社会の発展に当てはめました。社会進化論と言います。地球上には様々な文明社会が存在します。ヨーロッパ人の社会や、中国の社会や、エチオピアの社会、 アマゾン川流域に住む人々の社会、様々な社会が存在しています。
 その中で、ヨーロッパ人の社会がアジアのどこかの社会を征服して滅ぼしたとしても、生物の種の進化と同じ適者生存で、当たり前のことである。こんなふうに進化論の適者生存を、弱肉強食に置き換えて、人間社会に適用しました。ヨーロッパ人が世界に乗り出し、各地域を侵略していくことを正当化する理論となっていきます。
 この理論は、ひとつの社会の中にも適用されます。社会の中に成功しているグループと、貧困なグループに分かれているのは、社会の進化として当たり前なのだ。弱い者が社会的に低い地位にあり、貧しい側であることも仕方がない、という理屈になります。
 スペンサーの発想は弱肉強食です。ダーウィンの理論は弱肉強食ではなく、適者生存というもので、環境に適応した主がたくさんの子孫を残し、長い年月がたつと種が変化するというもので、弱いものが滅びるというのとは違うのでご注意を。

2025年4月19日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る