また、マルクスは、資本主義経済の分析によって、どうすれば社会主義社会を実現できるかを考えました。ここは倫理の試験ではあまり出ないかもしれませんが、簡単に言っておきます。「労働時間における労働は「労働力」の対価である賃金以上の価値を生産=搾取 」とプリントには書いておきました。どういうことか。ある労働者がある工場で働き始めます。9時から5時まで働いて時給は1200円。この条件で労働者は契約します。
誰に命令されたわけでもなく、自分の意志でこの工場を選んで労働契約書にサインをします。自由にです。資本主義社会の自由というのはこういうところにもあります。この段階で経営者も労働者も対等です。彼は時給1200円で働きますが、経営者はなぜそれで儲かるのか。労働者は9時から5時まで働くあいだに価値を生み出しています。労働者が労働によって生み出す価値は、時給を上回っているのです。例えば時給1200円で働いている労働者は1時間働いて1万円分の価値を作っている。その差額は8800円。この8800円が資本家の儲けです。その分が搾取されているわけです。
皆さんが将来就職して初任給月給15万円で働くとする。月給15万円で働いているけれども、皆さんが働いて会社に貢献した価値は50万円分ある。その差額の35万円が会社の儲けです。
こういうことをマルクスは経済学の分析で解き明かしたわけです。搾取されている分を自分のものにするにはどうしたらよいか。資本家、経営者がいなくなればいいわけです。労働者が経営すればいいけれどもそれは無理。だから工場を、公有とか共有とか国有にして利潤を分配すれば搾取はなくなるという理屈です。
人の労働は、自分が生きていくのに必要な物以上の価値を生み出すというのが、この理論の出発点です。
単純な話で、この中で自分の家は農業だという人は誰もいないでしょう。我々は農業をしていないけれども、毎日米を食べている。野菜を食べている、肉を食べている。ということは農業をしている人の作っている農産物は、自分が食べる分の何十倍何百倍もあるということです。だから私たちは農業をしてなくても物を食べれます。人が一人働くということは、自分を食べさせる何倍もの価値を作っている、それが社会を発展させている。
先ほど例に挙げた時給1200円は、その給料でひと月働いて何とか生きていけるという金額です。最低賃金が法律で決められていますが、それ以下では生きていけないから、最低限それだけは支払えという金額ですね。しかし、彼、彼女は一日働いてそれ以上の価値を生んでいる。それが資本家、経営者のものになる。これが搾取です。
マルクスの歴史観を唯物史観、または史的唯物論と言います。
マルクスはヘーゲルの学問の流れを引き継いでいます。ヘーゲルは絶対精神が自由を実現するために発展していくという歴史観を持っていました。マルクスはこれに対して絶対精神なんかどこにあるのか、と言います。ただしヘーゲルの弁証法という考え方は引き継ぎます。弁証法的に歴史が発展したということは確かにあるだろう。しかしその原動力は自由を求める絶対精神ではなく、人間が物を生み出す力、生産力の発展と生産関係との矛盾によって発展していくのだと考えました。「精神」から「生産力と生産関係」という具体的なものに歴史の原動力を切り替えます。ヘーゲルのような観念ではなく、物質が歴史発展の原動力なので唯物史観と言います。
ついでにいうと、カントは物自体は認識できないと言っていましたが、マルクスはそんなことはない、という。目の前の机自体をカントは認識できないというけれども、マルクスは人間がこの机を作っているじゃないか。生産できるということは認識できているのだという簡単な反論です。認識できていないものを生産できるわけがないということです。
マルクスは人間が作り出した思想や制度のことを上部構造と言います。上部構造は生産力の発展によって変化すると考えます。具体的な物質的な生活が下部構造。下部構造によって上部構造は影響される。我々は様々な感情を持っていますが、この感情は現代社会のこの暮らしから生まれた感情です。邪馬台国の時代の人が、「朝から会社に行くのはやだな」とか、「夜になったら一杯飲みたいな」とか、そんなことを考えるはずがない。具体的な暮らし(=生産活動)から、感情やシステムは生まれるということです。
エンゲルスは、『家族・私有財産・国家の起源』という本で、史的唯物論にもとづいて恋愛感情や結婚制度なども、時代とともに変わると書いています。日本でも平安時代の貴族の結婚は妻問婚(つまどいこん)といって、男性が女性の家に訪れたら結婚成立です。明治時代になるまでは、結婚しても女性の苗字は変わりませんでした。今とは全然違う。時代とともにどんどん変わる。具体的な暮らしが変われば、変わらないように見えるシステムや感情のあり方も変化していくのです。