功利主義という考え方があります。比較的面白いし現代にも生きている考えです。その代表者がイギリスのベンサム(1748生まれ)です。 資料集を見るとベンサムの写真があります。彼の時代にはまだ写真は発明されていませんから、この顔は蝋人形のように思えるのですが、実は本当に彼の顔写真です。この人は変わった人で、死ぬ時に遺言で自分の剥製を残せといいます。遺言どおり死後彼の剥製が作られた。その写真です。ですからこの写真の顔は本当のベンサムの皮膚です。彼の勤めた大学に、今も彼のミイラというか剥製は保存されていて、会議の時は出席させるという遺言が今でも生きていて、その大学の理事会か何かが開かれる時は、彼の剥製が会議室に運ばれて理事会に出席しているそうです。まるで即身成仏の空海のようですね。何を考えてそんなことを言ったのか分かりませんが、変な人です。これから話す功利主義は、こういう彼の行動とは全く関係はありません。
ベンサムは道徳の客観的な基準を追求しました。これは道徳を直感にたよるカントに対する批判です。カントの思想を思い出してください。カントは格率を立てよ、と言いました。格率とは、自分で自分に課すルールのことでしたね。どのような格率を立てるかは自分で考えなければいけません。彼は自由を尊重しますから、人から押し付けられたり他人が作った格率では駄目なわけです。
格率を立てる場合に考えるべき原則が二つあって、一つは自分の立てたルールを人が採用してもいいようなものにしなさい。普遍的なものであるように努めなさい、ということでした。二つ目はそのことによって人格を手段としてはダメですよ、ということでした。
例えば嘘をつくなということは格率になり得るとカントは言っています。しかし、カントはなぜ嘘をついてはいけないか、という根拠は何も示していません。「人を殺すな」も格率になり得ると思いますが、なぜ人を殺してはいけないかという疑問にカントは答えることはありません。これらの格率に何も根拠はない。カントの道徳の根拠は全て直感なのです。
ベンサムは直感ではダメだろうという。道徳には基準がいるだろう。その基準を示す原則が功利主義です。人は快楽の最大化と苦痛の最小化を求める動物です。これがベンサムの考える功利の原則であり、幸福の基準でもあります。誰でも、いい気持ちになりたい、快楽を増やしたい、苦痛は避けたい。
そこでベンサムは、快楽ができるだけ大きくなり、苦痛ができるだけ小さくなることが道徳の基準だと考えました。行動の判断として、快楽の最大化と苦痛を最小化するほうを選ぶ。そうすれば道徳になるという。カントとは全く違う。
カントは定言命法により格率を立てることを訴えましたが、幸福についてはあまり考えていない。嘘をつくなという格率に従って生きれば幸福になるか。カントはそんなことは問題にしていない。12時30分に昼飯を食べる格率を立てたとする。何があっても12時30分に昼飯を食べることが、カントによれば自由です。いくらお腹がいっぱいでも12時半にはご飯を食べる、いくらお腹が減っていても12時半まではご飯を我慢する。カントによればそれが自由です。素晴らしいことですが、それが幸せかというと違いますね。カントの道徳は幸福という概念とは少し切り離されている。それに比べてベンサムの言っていることはものすごくわかりやすいです。