時間切れ!倫理

 193 ベンサム 3

 ベンサムの生きていた時代は、イギリスといえどもまだ普通選挙制度はない。貴族やジェントリと呼ばれる富裕な地主階級にしか参政権はなかった。しかし、彼のいう「最大多数の最大幸福」では、選挙権のない貧しい人も、金持ちの貴族であっても同じ一人としてカウントされます。時代を考えれば非常に進歩的な発想だったことが分かると思います。「各人は等しく一人として数えられ、誰もそれ以上に数えられてはならない」です。
 先ほどの話に戻りますが、嘘をつくなという道徳の根拠をカントは示しません。では功利主義ではどのように根拠を与えることができるのか。
 自分の利益が最大限になるように嘘をついても良いとする。私だけではなく、あなたも、あなたも、平気で嘘をついてもいい。売買契約も借金の契約も、いくら破ってもかまわない。ところが、そうなると誰もが他人を信じられなくなって、不安の中で生きていかなければならなくなる。つまり、社会全体の幸福量が下がる。それが嘘をついてはいけないという道徳の根拠です。
 ただし、ベンサムの功利主義で、全てのことが判断できるわけではありません。10の幸福量を持つ人が10人いる社会だと、全体の幸福量は100。7の幸福量を持つ人が15人いる社会だと全体の幸福量は105。どちらの社会がより良い社会かということについて、功利主義からは答えが出ません。
 大阪の日本橋に、国立文楽劇場があります。江戸時代の人形劇をやっている。お客さんはあまり来ない。入場料収入だけではやっていけない。そこで大阪市は補助金を出して劇場を守っていた。橋本市長は税金の無駄遣いだと考えて、補助金を減らした。経営危機に陥って文楽劇場は必死です。見に行く人はほとんどいないではないか。市民の支持は得られていないではないか。税金で支えなければ存続できない伝統芸能の劇場など潰してしまって、その土地に市営のパチンコ店でも開けば、快楽を得る人は文楽劇場よりもうんと多くなる。もし、こういう考えが出てきた場合に、ベンサムの発想では文楽劇場よりもパチンコ店を選びます。日本で唯一の文楽劇場を潰してしまうのは文化的に大きな損失だという発想は、ベンサムの功利主義からは出てきません。単純に快楽計算をした上で快楽量が大きい方が良い。ですから功利主義を単純に色々なことに当てはめると、大変な事になるかもしれません。
 先ほど嘘をつくなという道徳の話をしましたが、自分の快楽を増やすために平気で嘘をつく人がいたら困りますね。俺は建築物が燃えるのが大好きだ、と考えて放火を繰り返す人がいたら困ります。
 そういう人が現れないように「制裁(サンクション)」は必要だとベンサムも言います。個人が自分の快楽を増やすために好き勝手なことをすれば、全体の幸福量が減る。そこで利己的な個人には制裁が必要なのです。制裁は4種類。自然的制裁、政治的制裁、道徳的制裁、宗教的制裁。
 放火魔がいる。どこかの民家に火をつけた時に自分もやけどしてしまった。これが自然的制裁。逮捕されて刑務所に入れられる。これが政治的制裁。放火魔であることがバレてしまって職場や近所で村八分に遭ってしまう。これが道徳的制裁。放火をしたことによって神様から罰を与えられることを恐れる、これが宗教的制裁。以上のような制裁が必要だし、あるべきだと考えています。

2025年9月4日

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