時間切れ!倫理

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 最後に影響です。繰り返しになりますが近代民主主義と相性が良い。現代政治の暗黙の前提となっています。日本国憲法で「公共の福祉に反しない限り」とありますが、これは「最大多数の最大幸福」に反しない限りと考えても良いかなと思います。ベンサムの考え方が底流に流れているのではないでしょうか。

 批判もあります。功利主義からは平等や自由の原理を導き出せません。そもそも幸福量を計算することができるのかどうか。モスバーガーとマクドナルドを食べた時の幸福量を計算できるかというと実際には難しいですね。

 ベンサムの功利主義は、現代でも倫理学の分野で話題になっています。倫理学の本によく出ている例です。
 5人の病人がいる。心臓や肺、肝臓など様々な臓器を患っている人がいる。彼らを治療するためには生体移植しか手段がない。この5人は脳死状態の人が現れるのを待っている。
 この5人が入院している病院に、健康な人が健康診断にやってきた。この健康な人に死んでもらって、彼から取り出した臓器を移植すれば5人は死なずに済む。このまま放っておいたら、5人は1年以内に確実に死ぬ。1人が死ねば5人は生きる。「最大多数の最大幸福」で考えればどうなる? やってしまえ、という考え方をベンサムの功利主義では否定できません。

 しかし、いくらベンサムであってもこんな考え方に賛成するとは思えません。健康診断に来た人を殺してしまうなど無茶苦茶です。
 では、こうしたらどうか。

 法律を作る。くじで当たった人は、臓器を提供して死んでもらうことにする。 くじに当たる人は、年間交通事故で死ぬ人の数よりもうんと少なくする。交通事故で年間3000人が命を失っているので、それよりもうんと確率を低くして年間30人の人しかくじに当たらないことにする。
 交通事故よりも確率が低いのだからめったに当たることはない。30人に臓器を提供してもらえば150人の人の命が助かる。30人は死んでしまうが、差し引き120人の命が救われる。こんな法律を作ったらどうか。

 これはベンサムの功利主義でいえば多分オッケーですね。誰もが自分が交通事故で死ぬとは思っていないように、このくじには自分は当たらない、とみんなが思っていれば、この法案は通ってしまうかもしれません。ベンサムの「最大多数の最大幸福」理論では、この法律を駄目だとは言えない。そういう欠点がある。

   今あげたのは、極端な例です。皆さん、まさかそんなことが通るはずがないと思ったかもしれません。が、現代の民主主義社会で何が問題になっているかというと、少数者の権利です。民族的なマイノリティや障害を持っている人の数は絶対的に少ないので、その人たちのための制度や法律はなかなか作られない。ひどい人権状態に放置されていても、制度がそれを救済しない。そういう問題と相通じていると思います。
 皆さんが見ようとしていないだけで、我々の幸せな生活は誰かの犠牲の上に成り立っているのかもしれない、ということです。

 もうひとつ、皆さんに思い出してほしいのがカントです。「人格を手段として扱ってはならない」。誰かを生かすために、誰かを犠牲にする。この発想が間違いだといえるのは、カントのこの考え方ではないでしょうか。カントは、暴走しがちな功利主義的発想の歯止めになると、私は思うのです。

 補足です。資料集にベンサムが発案した刑務所の図が載っています。パノプティコンと言います。円形で真ん中に監視人がいる。監視人がいるところは少し暗くなっているので、周りの独房からは見えない。監視人のいる場所を取り囲むように円形に独房が並んでいる。たった一人の監視人で数十人の犯罪者を見張ることができる。
 最小の労力で最大の効果を上げることができる。こんな刑務所はどうですか、とベンサムは政府に売り込んでいます。功利主義的な考え方からこのような刑務所を発案するのですが、この発想は現代の管理社会、監視社会と相通ずるものがある。20世紀になってフーコーというフランスの思想家が再びこのパノプティコンを取り上げています。

2025年10月11日

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