時間切れ!倫理

 198 ロールズ 2

 その結果、ロールズは次のようなルールが出来上がるだろうと考えました。
 まず、全員が自由を求めるだろう。不自由な社会でいいよという人は、「無知のヴェール」を被っても多分いない。 したがって自由が全員に与えられている社会を皆が望むだろう。
 1番目の原理。平等な自由原理。
 自由があれば、そこには当然競争もあるでしょう。競争は認めるが、それは公正な競争であること、競争に参加する機会は平等に与えられることが条件です。
 競争の結果不平等が生じても、平等な機会と公正な競争の結果であれば許容されます。これが2番目のa項、「公正な機会均等原理」です。
 競争の結果、貧乏人とお金持ちが生まれたとします。しかしそれが許されるのは、ふたりのスタートラインが同じであること。さらに同じ条件で競争をすることが条件です。スタートラインがはじめから違ってはだめです。親が大金持ちで、優秀な家庭教師をばんばんつけてもらって、東京大学に入る人と、離島に住んでいて島に高校はひとつしかない。高校を選ぶ選択肢はない。当然、島には塾もなければ家庭教師もいない。家は農家で、家のみかん農園を手伝いながら受験勉強をしなければいけない。スタートラインも条件も違うから、ここで差がつくのは当たり前だ。それは駄目だということです。
 b項、「格差原理」。もっとも不遇な人々の境遇を改善するものであること。わかりにくい表現ですが、ロールズは例として、富裕者から福祉税を徴収し社会保障や奨学金に当てることなどを挙げています。同じスタートラインから出発して同じ条件で競争しても、成功して富を蓄える人と、失敗して貧困に陥る人がいるでしょう。ただし底辺にある人の状態を少しでも良くするために、社会のシステムを通じて上のポジションにいる人は何かをしなければならないとした。
 これがロールズが考えた格差を小さくするための正義論です。リバタリアンのノージック、自由至上主義の立場から言えば、豊かな人から税金を余分にとって不遇な人のために制度を作りましょうなど、とんでもない。自分で頑張って豊かになった者から、なぜ政府がお金を取るのだ。自由な競争の結果に関して政府が口出しをするのはとんでもない、というのがノージックの発想ですが、ロールズはその逆ですね。

※永井均『倫理とは何か』(ちくま学芸文庫、2011)より。ロールズのいう形態が望ましいと考える人でも、「それを正義と呼ぶことを拒否する、という可能性がある」。「それは正義の範囲を超えた慈善(チャリティ)に属するという考え方」である。「もし正義の問題なら、恵まれない人々は援助される権利があり、恵まれた人々はそうする義務があることになる」。「それに対して、慈善は与える側の好意でするものであって、そこに権利義務関係は」ない。ノージックは「恵まれない人々は援助される権利があり、恵まれた人々は…義務があるといった考え方を拒否」する。
コミュニタリアニズム(共同体主義)のマッキンタイアの主張:ロールズやノージックの前提からしか彼らが導き出すような結論は出てこない。…ロールズにとっていま貧窮している人がそうなった経緯は問題ではなく、ノージックにとっては経緯だけが問題で現在の必要性は正義の問題とは無関係。彼らが無自覚に前提しているはずなのは、ふさわしさ(desert)という原初的な観念である。
※竹田青嗣『哲学とは何か』(NHKブックス、2020)より。ロールズとノージックは「善」の基礎を暗黙のうちに個人の価値に置く。しかし彼らは人間の「善さ」についての説明を欠いている。マッキンタイアによれば人間にとっての「善」とは本質的に「共同体的」なものである。人間は個人ではどんな善もなしえない。善は人間が「共同体」の人間的関係に属することによってのみ現れうる。つまり「真価」(賞賛に値すること)とは、人が所属する「その共同体共通の仕事」にどれだけ貢献しているかによってのみ認められるからである、と。



 平等なスタートラインは現実社会では難しいですが、均等な競争はそれに近づけることはできる。アメリカで行われているアファーマティブアクションはその例です。
 アメリカ合衆国では、黒人は貧しい人が多い。200年ちょっと前までは奴隷状態だったのですから、黒人全体をみてみると貧困の連鎖からなかなか抜け出ることができない。全体平均を取れば、白人よりも黒人の方が貧しい。貧しければ学力を伸ばす条件は当然悪くなります。 単純に試験の点数によって大学に入学しようとすれば、人気大学に入学できるのは圧倒的に白人が多くなります。この白人達は大学卒業後、大企業に就職してゆきます。大学に入れなかった黒人は、白人に比べて収入は少なく、両者の格差はいつまでたっても縮まることはありません。
 そこで大学が入学定員の一定割合を黒人枠とする。 そうすると、黒人枠があるために、黒人よりも成績が良いのに入学できない白人が出ることになります。その白人にとってはこの制度は非常に不公平ですが、社会全体から見れば、その方が全体の公平をもたらすことができる。こういう制度をロールズは肯定すると思います。
 ロールズの意義は、ホッブズ、ロック、ルソー以来の社会契約論を現代に再生させたこと。社会契約説では自然状態と言いますが、これを「原初状態」という形で現代に適用しようとした。さらに、平等論の現代的転換をもたらした。機会の平等から結果の平等への転換です。格差原理は功利主義への対案でもあります。
 個人的にロールズの何に魅力を感じるかというと、彼が社会における成功も失敗も、たまたまそうなったにすぎないと考える点です。ノージックは成功した富裕者から納税なり寄付金などをとる権利がどこにあるのかというのですが、ロールズは成功も、たまたまに過ぎない。たまたまその人の持って生まれた能力や周囲の状況が、現在の社会システムに合致していたからであって、たまたまそうでなかった人が社会的な弱者となっているのも、たまたま。だから社会全体の富なり資源を分かち合うべき、再分配すべきという議論です。

※『正義論』の政治・法哲学的インパクトとしては、功利主義に代わる政策決定の原理を示したことにある(仲正昌樹『現代哲学の最前線』NHK出版新書、2020)
※「…功利主義のようにあらゆる人の幸福の量を足し合わせた結果だけを見るという考え方では、…個人を尊重する現代社会の理論としては不適当だとロールズは考えた。特に当時の社会問題と言えばウーマンリブ運動や黒人の公民権運動など、社会的弱者が権利を求める運動だったが、功利主義ではそういう要求に十分な基礎を与えることができないとロールズは考えた。そこで(1)現実の問題との接点があり、(2)功利主義の対案となるような理論を考えよう、というのがロールズの仕事になった。…(ロールズの考える分配されるべき社会の)基本的な財とは、お金や物だけでなく、自由・安全・地位など、有形・無形をとわず人間が生きていく上でどうしても必要なもの全般をさす。…「自由」の分配というのは聞きなれない言い方だが、要するに誰に何をする自由を与えるのか、ということである。たとえば親に子供の進路を決める自由があるとしたら、子供には自分の進路を決める自由はないことになるから、「自由の分配」も十分問題となる。いずれにせよ、基本材の分配という問題設定をした時点ですでに功利主義とロールズはかなり問題設定がずれていることに注意する必要がある。」伊勢田はアリストテレス以来の配分的正義、応酬的正義では、その具体的内容で共通の原理を考え難いので、ロールズは「手続き的正義」で対処しているとも指摘。(伊勢田哲司『動物からの倫理学入門』)

 自由を礼賛する人はチャンスの平等は言いますが、結果の平等は言わない。自由と平等は反するところがあります。ロールズは自由を認めながらも結果の平等を実現しようと考えた。
 「社会的自然的偶然のおかげで個人にあたえられたり取得した能力・才能・技能などを一つの共同資産とみなし、もっとも不遇な人のために利用すべし」というのがロールズの考え方です。
 豊かな人は多くの財産を持っている。なぜ豊かになったか。努力したから俺は一流大学に入り、株の取引で成功したのだとか、弁護士資格を取って成功したのだとか言うかもしれない。努力した結果だという。
 しかし、努力しても大学入試に失敗する人もいるよね。努力が認められるのならば、努力して大学入試に失敗した人は評価されるのかと言うとそうではない。大学入試に成功したのは、たまたまの結果に過ぎない。富を得たことも「たまたま」なのだ。あなたはたまたま白人の裕福な家に生まれ、そのポジションを活かして良い大学に入って良い仕事について高収入を得ているかもしれないけれども、全てたまたまでしょ。たまたま黒人に生まれ、たまたまスラム街に育って、勉強できる環境になかったことも「たまたま」です。それはその人の責任ではない。成功している人もその人の功績ではない。豊かであることも貧困であることも、社会全体の共通の問題として皆が分け合うべき事だというのがロールズの発想です。

2025年12月3 日

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