キルケゴールの著書は『死に至る病』。ドイツの北、デンマークの人です。当時ヘーゲルの哲学、絶対精神という考え方は非常に多くの人に影響力を持っていました。ヘーゲルは、絶対精神が自由を獲得する発展過程が世界の歴史だと考えていましたね。
キルケゴールもその影響を受けているのですが、批判もしていた。絶対精神が自由を獲得していく、その終着点がフランス革命であり、完成した市民社会だ、とヘーゲルは考えていました。キルケゴールは、「そんなことをいっても、この世は全然パラダイスになっていない」と思った。
また絶対精神が自由を実現したとしても、そのことと私にはどんな関係があるのかと。
これが実存主義の発想です。絶対精神の自由と私の抱えてる不安、それはどんな関係があるのか。私の不安を絶対精神は解消してくれるのか。
そんなことはありません。
不安と絶望からキェルケゴールの思想は始まります。キルケゴールは自分の抱える不安や絶望と真っ正面から向き合います。彼から見ると周りの人達、いわゆる大衆はこのような不安や絶望と向き合ってはいない。周りのみんなと同じようにしていれば、それで安心している。慣習に従って教会に行って、神に祈りを捧げて安心している。しかしキルケゴールは、そんなことでは自分の不安や絶望は解決できないと考えます。
キルケゴールは実存の三段階というものを考える。これは彼自身のことだと思いますが、こんなふうに考えました。
最初の段階は、不安から逃れるために美的実存を求めます。快楽を求める。もっと楽しく生きようと考える。しかしそれでは満足できない自分を発見します。美的実存には絶望を感じるようになり、次の段階に行く。
それは良心に従う倫理的実存の段階です。ここでは、より高い善を求めて生きようとする。しかし、それも壁にぶち当たり絶望を感じる。倫理的実存に飽き足らず、最後にたどり着くのが宗教的実存の段階です。神と向き合う段階。
この時にキルケゴールは神というのですが、大衆がただ教会に行って、牧師さんのいうことを聞いて、アーメンといって満足しているのではだめだ。自分個人として神と向き合わなければだめだ。そう考えた時に現れてくるのが主体的真理です。
真理とは客観的な認識ではなく、「あれか、これか」の決断を迫られる中で、生き方として獲得される。みんながそうしているからではなく、自分が決断し、自分が神と向き合わなければだめだと考える。
どういうことか。
例として旧約聖書のアブラハムとイサクの話が出てきます。以前に話したことがありますね。
ヤハウェ神はアブラハムを非常に愛でる。神はアブラハムに対して、お前の子孫は星の数ほどに増えて繁栄するだろうという預言を与えます。そのためにパレスチナ地方に移住しなさいと指示をする。そしてアブラハムは妻を連れて移住をします。
ところが100歳に近づいても子供は生まれない。妻も90歳を超えて子供など生まれるはずがない。それで「神の預言はどうなっているのか」と恨み言をいっていると、妻が妊娠して息子が生まれます。
息子の名前はイサク。アブラハムは非常に可愛がってイサクを育てるのですが、イサクが少年になると、神はアブラハムに対して息子を自分への生贄として捧げろという。生贄にするということは、祭壇に供えて喉を切り裂いて神に捧げるということです。要するに、神は「自分の為にお前の息子イサクを殺せ」と言っているわけです。アブラハムは悩みます。
このようにして神を前にして 「あれか、これか」、神の言うことを聞いて息子を殺すのか、息子を大切にして神を裏切るのか。人間はこういう決断に常に迫られている。そこから逃げてはダメだという。ここから主体的な真理は獲得されるのだとキルケゴールはいう。
みんなと同じようにする、牧師さんのいう通りにする、という生き方ではこのような決断はできない。でも人間の不安というものはこういうことなのだ、主体的真理を獲得しながら決断していかなければいけないのだという。
旧約聖書では、アブラハムはイサクの手を引いて森の中にはいり、祭壇に捧げる。イサクも覚悟している。「私がお父さんの生贄の羊なのだ」と。アブラハムがイサクの首を掻き切ろうとする直前に、神の声が「やめなさい」と告げ、アブラハムを止めます。お前の気持ちはよくわかった、ということで息子を殺さずに済むのですが。
「単独者」
このようなギリギリの状態に人間の実存は置かれているのだ。不安や絶望を抱えて生きているのだ、とキルケゴールは考えているのでしょう。そして常に決断を迫られている。こういう中で、大衆に埋もれず神に向き合うしかない「単独者」として生きる。そういう生き方を生きるしかないのだ、ということです。これがキルケゴールの思想です。
これは彼の思想のあらすじだけであって、こんな風に話をすると「ふーん」で終わるんだ。実存主義の人たちの思想は、実際に彼らの本を読まないと感動はないと思う。彼らの主張は小説や詩に近いです。いっていることは生き方だから。
例えば夏目漱石の『こころ』を読んで感動したひとが、どんな話かと聞かれて、あらすじだけ話しても感動は伝わりませんよね。文章を読み、その小説の流れに身を任せて初めて感動がある。実存主義哲学はそういうものだと思います。