時間切れ!倫理

26 無知の知

 かれの生涯にはいくつかの大きなエピソードがあります。その一つがデルフォイの神託の話です。

 ソクラテスが40代くらいのことです。ソクラテスの友人にカイレポンという男がいました。カイレポンはソクラテスの大ファンでもあった。ある時、かれはデルフォイの神殿に行った。全ギリシア人の信仰を集めている神殿です。ここでは神様のお告げがもらえました。たまたまここを訪れたカイレポンは、巫女さんに「ソクラテスよりも賢い人間がいるか?」とたずねた。巫女さんのくだした神託は「ソクラテスより知恵のある者はいない。」カイレポンは「やっぱり!」と嬉しくなって、アテネに帰ってソクラテスに教えてやるのですよ。

 「デルフォイの神託で、おまえがこの世で一番知恵のある男と分かったぞ!」ってね。

 当のソクラテスは、それを聞いてびっくりした。「私よりも知恵のある人はたくさんいる。私が一番知恵者であるはずがない」と。しかしソクラテスもこの時代の人ですから、デルフォイの神託を信じてもいるわけです。神がウソをつくはずもない、とも思った。

 そこで、かれはどうしたかというと、神託の意味を知るためにいろいろな人を訪ねてまわりました。アテネで人々の尊敬を集めている人、知恵者と呼ばれている人、有力政治家、才能ある芸術家、そんな人をどんどん訪ねる。そして、質問をぶつけて、その人の持つ知恵について確かめた。たとえばこんなふうです。

 ソクラテス「人にウソをつくことは正しいか、不正か?」

 相手は答える。「それは不正である。」

 さらにソクラテスは質問します。「将軍が軍隊の士気が沮喪しているのを見て、援軍が近づいて来たぞと偽りを言い、そのことで全軍の士気を高めたら?」

 「それは正義である」

 「また誰か息子が薬を飲む必要があるのにいやがって飲まないとき、食べものだよといって薬を飲ませ、健康を回復したら?」

 「これも正義である」

 そうすると、ソクラテスはここぞとばかりに突っ込むのです。

 「あなたは、先ほどはウソをつくのは不正といい、今は正しいといった。一体、ウソをつくのは正しいのか不正なのか、どちらなのかね?」

 きかれた方は困りますよね。「うーん、そういわれると私にはもう分からない。」

 ここで、引き下がればいいのですが、ソクラテスは追い打ちをかける。

 「あなたは、何が正しいことで、何が正しくないかを知らないのに、今まで知っていると思っていたのですね。」そして「あなたには、知恵がない。」と宣言する。

 そんなふうにいわれたら、だれでも怒る。するとソクラテスは、相手に知恵がないことを認めさせようとさらに議論をふきかける。そして、ますます相手を怒らせる。

 こんな調子でソクラテスはアテネの有名人を次から次へと質問責めにしました。端から聞いていれば、こんなに面白い会話はない。だから、弟子たちはソクラテスについて歩いて、こんな会話を聞いて楽しんでいたと思う。若者たちの人気者になった。だけど、かれに質問責めにあった有力者たちはたまりません。みんなの見ている前で恥をかかされるのだから。うっとうしい、困った男と思われてもしかたないですね。

 ソクラテスは多くの人と話をして、最高の知恵者という神託について結論を出しました。

 自分より多くの知識を持つ者はたくさんいる。知恵の量では自分は取るに足らない者だ。しかし、自分と他の者には決定的な違いがある。自分より多くを知っている者もすべてのことを知っているわけではない。なのに、かれらはすべてを知っているつもりでいる。私は何も知らない、無知である。しかし、自分が無知である自覚はある。もしも、自分が他の者より知恵があるとすれば、それを自覚しているからだ!

 これが、「無知の知」といわれるものです。おまけですが、デルフォイ神殿の一角に「汝自身を知れ」ということばが刻んであった。ソクラテスは自分自身を知ったわけです。ソクラテスは自分の弟子たちに、「汝自身を知れ」という言葉を与えています。

 また、このように相手と討論をしながら問題を突き詰めていく、こういう彼の方法を問答法といいます。相手が自分で知恵を生み出すのを手助けするということで、助産術とか産婆術ともいう。

【参考図書】
岩田 靖夫『ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) 』 2003
古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫)』2005
シュベーグラー『西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫))』谷川哲三・松村一人訳、1939
竹田青嗣・西研編『はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)』1998
バ−トランド・ラッセル『西洋哲学史 1』市井三郎訳、みすず書房、1970

 2021年05月22日

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