時間切れ!倫理

 73 イエス

イエス(BC4年頃〜AD30年頃)

 新約聖書にはイエスの系図があって、お父さんヨセフはヘブライ王国のダヴィデ王、ソロモン王の子孫ということになっている。作りものでしょうね。ヨセフは大工さんだった。多分あまり裕福ではない。お母さんはマリア。
 マリアは処女のままイエスを妊娠していることになっている。どういうことなのか。実際に起きたのは次のようなことだと思われます。
 聖書によると、ヨセフとマリアは婚約中でした。昔だから婚約者同士でも性的関係を持ってはいけない。姦淫するなかれ、です。彼らは性的関係はおろか、キスをしたことも、手を握ったこともなかったのではないか。しかし、それなのにマリアは妊娠します。何が起きたのかはわかりません。いろいろな想像は可能です。
 ヨセフからすると、自分に身に覚えがないのに、マリアが妊娠したのですから、婚約破棄するのが当然です。しかし、ヨセフはそのマリアと結婚します。実は迷ったのだけれど、神のお告げがあって結婚したと聖書には書かれている。そうして生まれたのがイエス。二人の間には、その後たくさんの子供が生まれます。だから、イエスには弟や妹がたくさんいたようです。
 イエスが、このようないきさつで生まれたということは、村中の知るところだったようです。聖書を読むと、後にイエスが布教活動を開始して、あるところで説法をしていると、たくさん人が集まって聞いているなかで、たぶんイエスと同じ地元の人間がその中に混じっていて、ヤジを飛ばす場面が出てきます。何とヤジっているかというと、「ああ、あれはマリアのイエスだ!」といっている。これはすごい侮辱の言葉らしい。
 当時のユダヤ人の間では、人の名前をいう時には、父親の名前を前につけて「誰だれの子誰だれ」と呼ぶのが普通だった。だから、「ヨセフの子イエス」というのが普通。それを「マリアの子イエス」と大声で叫んだということは、「あいつの親父は誰か分からんぜ!」というのと同じで、侮辱なのです。そういう場面が出てくるので、多分彼のお父さんが誰かわからないということは周知の事実だった。そのことを新約聖書は、ものすごく遠回しに、もしくは神話化して処女懐胎と表現した。
 律法主義的にいえば、結婚してないのに妊娠するなんてとんでもない話。姦淫そのものです。マリアは救済から外れるはずだし、そのようにして生まれたイエスも、当然差別され、いじめられたのではないか。彼にもユダヤ教の救済は届かないと思います。
 ユダヤ教の戒律を守れないものは、それゆえに救われないというその教えのただなかに、イエスもマリアもいたのです。
 成人したイエスが、宗教活動を開始するときに、何をいったか。戒律なんて破っても構わないのだ、というのです。貧しい人々こそ神によって救われるのだ、という。
 彼の若いころのことはわかっていません。30歳ころに、洗礼者ヨハネという人物から洗礼を受け、その後宗教活動を開始した。ヨハネはユダヤ教の主流である律法主義とかパリサイ派から外れて、独自の活動をしていた人のようです。ヨルダン川べりで「悔い改めよ」と人々に川の水を注いでいた。だから、洗礼者という。具体的にはよくわかりません。イエスもこの人の所へ行って水をかけてもらって、それから積極的な宗教活動開始します。具体的にはいろいろな場所へ行って説法をしたり、病をいやしたりする。
 象徴的なのは、安息日にみんなが見ている前で穀物を刈り取ったこと。安息日の戒律を白昼堂々と破る。安息日は人の為にあるのであって、安息日のために人があるのではない、と説く。安息日を守れずに、苦しんでいた人はものすごく楽になり、救われたのではないか。だからすごく人気がでる。一部の人は、イエスは救世主じゃないかと期待します。
 しかし、従来のユダヤ教の指導者層からは、こんな活動をやられると困る。ユダヤ教を破壊するように見えますよね。イエスの信奉者、信者が増え始めると、彼の活動をやめさせる手段はないか、イエスの様子、活動を探り始めます。最後には反逆者としてローマ総督につきだそうと追いかけまわします。
 イエスは、最初は弟子たちに守られながら逃げ回っているのですが、最後には逃げ切れないと悟って、観念する。そして捕まる前日の夜、弟子たちを集めて最後のお食事会をする。最後の晩餐です。最終的には、弟子の裏切りによってイエスは捕まり、ローマ総督による裁判にかけられて、ローマに対する反逆者として十字架にかけられて処刑されました。たぶん33歳くらい。十字架刑はローマの処刑のなかでは、簡単に死ねず、苦しみが長く続く最も苦しい死刑執行方法でした。

 2022年2月19日

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