時間切れ!倫理

 77 パウロ

(キ) パウロ

 イエスと連座して処刑されることを恐れ、イエスを見捨てて逃げ去っていた弟子たちが、やがて再結集してイエスの教えを伝え始めます。彼らが布教を再開したのは、復活したイエスに会ったからだとも伝えられています。
 イエスを直接知る弟子のことを使徒といいます。特にのちに初代ローマ法王とされるペテロやイエスの弟ヤコブが有名です。かれらは、イエスの復活を信じ、イエスこそが救世主、つまりメシア、キリストだとして布教を開始しました。ここにキリスト教が成立します。
 繰り返しますが、イエスはユダヤ人であり、生涯パレスチナ地方から出ることはありませんでした。ですから、初期キリスト教はユダヤ人社会の中で信者を増やしていきました。当然、ユダヤ人が皆キリスト教徒になったわけではなく、あくまでキリスト教徒は少数派です。ユダヤ教にとっては危険な教えなので、ユダヤ教幹部はキリスト教徒を見つけては弾圧していました。
 キリスト教徒を迫害していた者たちの中にパウロという人がいた。ある時ダマスコという町にキリスト教徒を捕まえに行く途中、突然光が目を覆い、「なぜ私を迫害するのか」という声が聞こえてきた。これはイエスの言葉らしい。そのとたん、パウロは目が見えなくなった。こまった彼を助けたキリスト教徒が、彼のために祈ると、パウロの目から鱗がおちるように、視力が戻ったという。これが「目から鱗」という言葉のもとです。パウロは、世界がはっきり見えて、この時からキリスト教の迫害者から、熱心な信者、それも布教者へと転身します。
 パウロはユダヤ人ですが、有力者の家系だったらしくローマ市民権を持っていた。ローマ市民権保有者は、ローマ帝国内を自由に旅することができました。そこで彼は、パレスチナ地方を離れていろいろな場所で布教しました。ユダヤ人以外の民族にもキリスト教を広めて、民族宗教から世界宗教にしたのはこの人の功績です。
 もともとユダヤ教は、ユダヤ人だけが神様から選ばれ天国行けるという選民思想がありましたから、ユダヤ人以外には広まりにくいけれど、イエスには選民思想、ユダヤ人だけが救われるという考えは全くない。みな隣人ですから。だから世界宗教になる素地はあった。
 また、パウロはキリスト教の教義を確立するという大きな仕事をした。キリスト教はイエスの教えをもとに、パウロが作った宗教だという人もいるほどです。彼の理論の中でも、原罪、贖罪、信仰義認説が重要です。
 アダムとエヴァが神の約束破って知恵の実を食べて以来、人類が全て生まれながらにして罪を背負っていると考える。これが原罪。そこに神がイエスを遣わした。イエスは人々の罪を一身に背負って、犠牲となって死んでいった。これが贖罪。ユダヤ教では戒律を守ることが信者として救いが得られる条件でしたが、パウロは信仰こそが義とされる、つまり神様から認められることであると考えました。
 それから、信仰・希望・愛のことを「三元徳」といっています。これはアリストテレスの四元徳、知恵、勇気、節制、正義と混同しないように、試験対策として覚えておくこと。

(ク) 『新約聖書』

 パレスチナ地方以外にも、ローマ帝国の中でキリスト教信者は徐々に増えます。各地で作られたイエスの伝記など信仰上の文書がまとめられ、4世紀ころまでに『新約聖書』が成立します。中身はイエスの伝記以外にパウロの手紙など様々な文書が入っています。
 パウロは旅をしながら、各地のキリスト教徒のコミュニティからの信仰上の疑問やトラブルに対して、アドバイスの手紙を出しています。そういう手紙などが『新約聖書』には収録されています。

※正典としての成立は393年。北アフリカ、ヒッポで開かれた教会会議において27巻の文書が聖典として確認された。

 2022年5月5日

次のページへ
前のページへ
目次に戻る