時間切れ!倫理

 78 弾圧と発展

 ローマ帝国において、初期のころキリスト教徒は弾圧されました。パウロは弾圧され、最後はローマで処刑されたと伝えられています。キリスト教は貧しい者、虐げられた者の味方なので、初期の信者は奴隷が多かった。キリスト教というと、奴隷の宗教と思われた時期もあったようです。やがて信者は女性にも広がる。やがて上層身分の女性も加わり、男性にも信者が増えます。
 1世紀半ばのネロ帝の弾圧には彼の気まぐれな性格のためとも考えられますが、4世紀初めのディオクレティアヌス帝の弾圧は政治的な確信に基づくものでした。キリスト教徒は神にしか礼拝をせず、皇帝に対する礼拝を拒否したことが理由です。
 ところが、ディオクレティアヌス帝の時代が終わってまもない313年には、コンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認します。キリスト教を信じてもよい、ということです。やがて、4世紀末にはテオドシウス帝により国教化され、今度はキリスト教の信仰が強制されるようになります。
 この変化は、帝国内でのキリスト教徒の増加が原因でしょう。キリスト教徒が多数であるならば、弾圧するよりも味方につけたほうが合理的である。キリスト教を支配に利用できる。そう考えたのでしょう。
 公認したうえは、政府が教会のあり方に干渉するようになります。教義の解釈をめぐる論争が教会内で起きると、皇帝がそれを調停するようになる。これが公会議です。このような皇帝主催の教会会議によって、教義が整えられていきました。325年、エフェソス公会議ではアタナシウス派の三位一体説が採用されました。これは、現在のローマ=カトリック教会、プロテスタント諸宗派、およびギリシア正教会(東方教会)に引き継がれている教義です。
 三位一体説とは、父(神)、子(イエス)、聖霊は三つのペルソナであり、本質的にはひとつだという教義です。すごく難しいのだけれども、この三つは違う形で現れるが本質は一つ。異なった現われ方をするのは仮面(ペルソナ)を付け替えているからだ、という教え。
 その根底にあるのは、イエスは一体何者かという問題です。様々な奇跡を起こし、処刑された後に復活したとなれば、イエスは神か?という話なる。しかし、ヤハウェという神がいる。一神教だから、イエスを神と認めるわけにいかない。では人間なのか。人間が処女から生まれたり、奇跡を起こしたり、復活するはずがない。イエスが特別な存在であり、救世主だと認める限りは、かれが単なる人間と考えるのもおかしい。神でも人間でもない。この矛盾を解決するために考え出されたのが三位一体説。イエスと聖霊は神の別のペルソナであって、この三者は異なってはいるが、本質は一つという理論でした。
 聖霊とは何か。パウロが遠く離れた信者のコミュニティに手紙を書くときに、彼だけの力で書いたのではない。その時に彼には聖霊がついていて、手紙を書かせたのだという。そういう存在として登場する。だから、聖霊によって書かれたパウロの手紙は聖なる文書であり、『新約聖書』に載せるべきものだと考えられるのです。

※古代ギリシア人が「プネウマ=霊気」と呼んでいたのは、人の気息を通じて生命活動に出入りしている非物質的作用のことや、宗教儀礼や祭礼において人々の上に降りてきて、深い共感や共鳴や一体感や愛の感情の爆発をもたらし、その場を一つの「コミュニオン」と化す不思議な力のことや、すぐれた霊的な指導者が説教や洗礼を与えているとき、その人のまわりを包んでいるカリスマ的力のことなどを指している。この言葉が『新約聖書』には頻繁に登場してくる。
さて、イエスは「霊」に導かれて荒れ野に行かれた。(マタイ4・1)
さて、イエスは「霊」に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった(ルカ4・1)
…   (『 緑の資本論 (ちくま学芸文庫)』中沢新一、2009)

 2022年5月7日

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