時間切れ!倫理

 62 バビロン捕囚

歴史上のユダヤ人

(ウ) バビロン捕囚
 南のユダ王国だけが残った。この国はユダ部族が中心だったのでユダ王国という。イスラエル王国が滅んでしまったので、ユダ王国の呼称がイスラエル人の呼称になっていきます。ユダヤ人、ユダヤ教ですね。もともとはイスラエル人の一部族名だった。
 このユダ王国も、前586年、新バビロニア王国によって滅ぼされました。このときに新バビロニアはユダ王国の上流階級の人たち、支配者層の人々を自分たちの国首都バビロンに連れ去ります。この事件をバビロン捕囚といいます。世界史にも出てくる事件です。
 このときにもエレミヤという預言者が出てきて、ユダヤ人(イスラエル人)たちに危機を訴えます。先ほどのイザヤと同様、エレミヤも実在の人物で旧約聖書には彼らの訴えが「イザヤ書」「エレミヤ書」として載っています。
 説明を飛ばしてきましたが、イザヤもエレミヤも預言者といわれます。預言者とは「神の言葉を預かる者」です。未来に起こることを予言する「予言者」とは違うので注意してください。かれら預言者は何を訴えたか。イスラエル王国が滅びそうだとか、バビロン捕囚でイスラエル人が拉致されるというイスラエル民族の危機に際して、「我々が神への信仰を失ったから、このような事態になったのだ。これは神の与えた試練だ。今までの堕落した生活を捨てて神への信仰を取り戻そう」と訴えた。
 先ほどみたように、紀元前12世紀頃に12部族連合の間で共通の神への信仰が生まれた。しかし、その後にまた別の神々を信仰する人たちも現れて、共通の神であるヤハウェ神への信仰がおろそかになっていた。そこで、民族の危機に際して信仰を訴える預言者が登場したのでしょう。
 このようにして、段々とユダヤ教の形が作られていきます。

(エ) ユダヤ教の成立
 やがてバビロン捕囚をおこなった新バビロニアがペルシア帝国に滅ぼされました(前539年)。ペルシアがバビロンを占領してみると、そこに拉致されていたユダヤ人(イスラエル人)がいる。ペルシアの支配者は彼らに「帰っていいよ」という。さらに「君たちの信仰している神様をそのまま信じてかまへんよ」と。パレスチナ地方もペルシア帝国の領土になるのだけれど、ペルシア帝国の各民族に対する支配は緩やかで、それぞれの宗教も認めたのでした。
 帰還したユダヤ人たちは、紀元前538年、パレスチナの首都イェルサレムに神殿を再建した。バビロン捕囚という試練を経て、ちゃんとヤハウェ神への信仰を守っていこうとしたのです。歴史的にはこれをユダヤ教の確立とします。それまでの輪郭がちょっと曖昧だった信仰が、ここで形が整えられユダヤ教として成立した。
 その後パレスチナ地方は、ペルシア帝国滅亡後アレクサンドロス大王の支配下に入る。アレクサンドロス死後は、その武将の建てたシリア王国の支配下に入り、さらに紀元前1世紀にはローマの支配下に入りました。すでに学習したストア派の哲学者マルクス=アウレリウスは、ユダヤ人を支配下に収めたときから約150年あとのローマの皇帝でした。ストア派のセネカはローマ皇帝ネロの家庭教師でしたね。ユダヤ人は、このローマ帝国の支配下にはいる。
 その後、紀元後70年と135年にユダヤ人達はローマ帝国に反乱を起こしますが、敗北して神殿は破壊され、ユダヤ人たちは各地に離散しました。
 このあと約2000年間、ユダヤ人たちは自分たちの国を持たないまま世界中にちらばります。国が滅ぼされてバラバラに散らばってしまえば、移住した先の人たちと混血してその民族は消えてしまいそうなものです。歴史上そういうふうにして消えてしまった民族はたくさんあると思うけど、ユダヤ人たちは2000年の間、消滅せずに現在まで続きました。それはユダヤ教の信仰を持ち続け、信仰が民族のアイデンティティを保たせたからです。
 そして、第二次世界大戦後の1947年、国際連合の決議でパレスチナ地方にユダヤ人の国家イスラエルが建国され、ユダヤ人は約2000年ぶりに国を持つことになった。世界各地に散らばっていた人々が、パレスチナ地方に集まってきた。まことに不思議な民族です。
 ユダヤ教という宗教は、ユダヤ人を存続させ続けてきた宗教です。ユダヤ教を捨てることはユダヤ人でなくなることとほぼ等しい。まさしく民族と切り離すことのできない宗教なのです。

*第2次世界大戦後のイスラエル建国にともなって引き起こされたパレスチナ問題は、非常に重要な問題ですが、ユダヤ教という宗教の話から離れてしまうので、ここでは触れていません。関心のある方はこちらをご覧ください。 世界史講義録 現代史編  09-2 中東戦争とアラブ民族主義の隆盛

 2021年12月22日

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